鴨長明

日本文学のその時々の時代背景を余すことなく、リアルに突き止める「随筆」という文学形式。
その中でも現代まで深く影響を与え続け、疑問を問い続ける鴨長明「方丈記」。

現代における自分と世間と時代との考え方について意見を持ちました。


時々の無常も日常も常に大きな流れの小さな流れ。

鴨長明「方丈記」の優れていて、現代まで多くの人びとに読み継がれる最たる点は、その時代背景の描写をリアルに伝えていることです。
主に、「方丈記」の場合は、平安というふんわり「おじゃる」なんて言っていた公家の時代から、鎌倉という武士の乱世に移り変わる激動の時代背景を伝えていることと、集中してあまりに多くの災害に見舞われた日本という国の無常を伝える文書。

冒頭のこの一節で深く引き込まれた人が多いはずです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

今、その時を精一杯生きるしかない人間。
そして振りかかる様々な問題。
でも、結局は“歴史”という長い長い時代を遠いところから全体を見回すと、それは大きな流れの中のとても小さな流れでしかないという事実。
わかりやすく言うと、この大きな宇宙の中で、大きいと感じる地球という星なんて見落としてしまいそうなくらい宇宙全体から見れば小さな点のような星でしかないというもの。


視点が変わった。

大きな流れとこの小さな流れは、わかっていますが、ちゃんと認識すると驚くことに“同じ所”に存在しています。
それは、どんな事柄においても“視点”を変えるすごいことだと思うのです。

人間誰しも常に悩んで考え生きています。
その時の悩みも人生全体のたったひとつでしかない。
素敵な幸せな出来事も、多く人生で訪れるたったひとつの幸せでしかない。

事実は事実で、ひとつひとつが生きていく上で自分の現実であり、それはすぐに人生の過去へと刻々と変化しているという事実。


人はその時を精一杯生きる。

未来はいずれ現在に、現在はいずれ過去に。
タイムマシンができていないので、これが事実であり現実です。

過去は戻らず、だからこそ人は今を精一杯生きるしかない。
今は今しかなく、でもそれは常に訪れるもので、生きている限り人間は“今”を生きることができる。


歴史から何を学べるか。

幸せなことに、私達は人類史においてこれほど過去の情報を得ることができる人類史上最高に恵まれた時代に生きています。
長明の場合、家柄や後鳥羽院の助けなど、生まれた時からその時代で一番の“知識”を得れる環境にいました。
文字も読めない、貧しい人のいた時代にです。
その恵まれた長明より更に恵まれた私達現代人。

歴史において、流れるように事実が積み重なって現代に時代はつながっていますが、どの時代の人間もよくよく見てみれば同じような事に悩み、悲しみ、喜び、日々“今”を生きてきた。

でも、得れるのです。
私達現代人の多くは、歴史の中で先人たちの同じように悩み、悲しみ、喜び、日々“今”を知ることができる環境を持っているのですから。


先人から得れる事実と知識と思想。
それを“今”生きている瞬間に活かせるかどうか?
どこから何をどう感じて活かすかは人それぞれだと思うのですが、私は“学び続け感化され続けること”これこそ現代人に欠けていて、でも確実に“出来る事”ではないかと思うのです。

川の流れが急激に早くなったりと変わるように、人の考えも年月が経てば変化します。
でも、その変化を変えるもの、影響を与える物は自分で選択できます。
本だったり、ネットだったりTVだったり、映画だったり。
感性に働きかけるこういった“キッカケ”は現代人だからこそ、多く自分で選ぶことができます。

ここでいう歴史も、平安や戦国時代、第二次世界大戦中の私達が経験していない昔だけはなく、過ぎた1分前までも“今”から見ると歴史の流れの1つ。

長明のように、遠い未来へ影響の与えれる人になるなんてそうそうできる選ばれた人間はいませんが、もっと身近で考えれば、自分の何かが近くの誰かに何かの影響を与える事は誰にでもあり、自分が影響されることもあります。


どの時代より恵まれ特に日本は、戦争もなくかつてない“平和”な時代を生きている日本人。
“平和ボケ”なんて言われてもいますが、それはそれでとても幸せなことであり、感謝しなければいけないことで、だからこそ、多く苦しんでいた時代の人より今のこの恵まれた環境を活かし“学び続け感化され続ける”をもうちょっと考えるべきだと思うのです。