牢屋

海外ドラマにずっとハマってTV放映されたものはだいたい録画してチェックしています。
その中で最近放送中のものだと「レバレッジ ~詐欺師たちの流儀」や「ホワイトカラー」のような泥棒や詐欺師が主人公となり、悪者をスカッとやっつけてくれるものがあるのですが、そこに人の善悪はどう重なっているのか疑問がでてきました。


弱いもののために法を犯す

こういったドラマの主人公たちは、泥棒や詐欺を幾度となくドラマで繰り返し、一般的に見てどんどん法を犯していきます。
でもそれは、法で解決できない悪者をやっつけるための行為であり、正義と視聴者には映ります。
昔だと、ロビンフットや、ねずみ小僧なんてのもそのたぐいでしょう。
視聴者は主に一般民衆ですから、法という権力の抜け道をかいくぐって時には法も犯し、だが正義を貫く彼等はヒーローです。
私自身も、悪人が痛い目にあい、弱い人が救われるのはみていて気持ちが良いものです。
ですが、ふと、こう思うのです。

「泥棒(詐欺師)には違いないよな」


結局、こんなドラマが出来上がるのもアレが未完成なことが理由ではないか?

そもそも、人が「罪」だと認める所以は、現代社会において「法」があるからです。
そこに、これは悪いことで罪であると記されているからなのです。
ですが、この「法」は絶対的なものであるはずなのに、抜け道も多く、悪い方に頭の良い輩が網目をくぐり、違法ではないけれど絶対に悪い事をすることで、こういったドラマの悪役のストーリーの主軸を作り出しているのです。
つまり、「法」が未だそこまでカバーできていないのです。


「法」を作るのは誰か?

日本の場合(たいがいの先進国はそうですが)、法律の法案を作るのは、弁護士でも裁判長でもなく、国会議員です。
彼らが、法案を提出し、決議し、ひとつひとつの法案が整備されていくわけです。
この“議員”という人達は、TVの視聴者であるところの“一般民衆”という定義とは違う特別な人達なわけです。
国会議員の仕事は、国会で野次を飛ばすことでもなく、敵対政権の弱みを握ることでもなく、議席を確保しようとするところでもなく、『法の整備』が一番課された仕事です。
前日、安倍政権が解散し、これから選挙が行われるわけですが、国会議員を選ぶということは、自分たちの国の法律を作る人を選ぶに同義なのです。
ですが、わかっていない人が多い気がします。


もし、ちゃんと誰もが納得し、悪い事は悪いと罰す、正しいことが正しいと言える完璧な法律ができたなら、詐欺師や泥棒が活躍するドラマは作られることもないでしょう。
今だけじゃない、ねずみ小僧然りで、今も昔も何も根本が変わっていないのではないかとも思ってしまうわけです。
選挙、何を基準に投票するか?今一度考える時なのかもしれません。